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2026
09.19
大地震のたびに住宅は強くなった―耐震基準の歴史から考える木造戸建て住宅

大地震のたびに住宅は強くなった―耐震基準の歴史から考える木造戸建て住宅

こんにちは。最近は秋雨前線が活発になり、雨の日が多くなっています。また台風や大雨などの自然災害も多く発生しています。雨や台風以外にも、地震に関するニュースを目にする機会が増えたと感じている方も多いのではないでしょうか。南海トラフ地震の発生確率が80%を超えると言われて20年近くになりますが、皆さんは地震対策を行っていますか?今年の7月28日にも熊本で大きな地震が発生しました。大きな地震が発生するたびに、「もし自分の住んでいる地域で大地震が起きたら、この家は大丈夫だろうか」と不安になることがあります。

日本は昔から地震の多い国です。そのため、私たちが暮らす住宅にも、地震に耐えるためのさまざまな基準が設けられています。しかし、「耐震基準」という言葉は知っていても、具体的にどのような基準なのか、自分の家がどの時代の耐震基準で建てられているのかまで知っている方は、意外と少ないのではないでしょうか。今回はそんな方に向けて、耐震性能の変遷や耐震基準とはどのような事なのかをまとめてみました。

日本の住宅に求められる耐震性能は、昔から同じだったわけではありません。過去に発生した大地震で建物がどのように壊れ、なぜ多くの被害が発生したのか。その原因を調査し、同じ被害を繰り返さないように建築基準は何度も見直されてきました。つまり、現在の耐震基準は、過去の大地震で得られた多くの教訓の積み重ねによって作られているのです。そして、ここで知っておきたいことがあります。

「耐震」とは、どんな大地震が来ても家をまったく壊れないようにする、という意味ではありません。

では、建築基準法における「耐震」とは、いったい何を目的としているのでしょうか。

今回は木造戸建て住宅を中心に、耐震基準がどのように変わってきたのかを振り返りながら、「耐震とは何なのか」、そして現在住んでいる住宅や、これから住宅を購入する際に知っておきたいポイントについて考えてみたいと思います。

そもそも「耐震」とは何を意味するのか?

「耐震性がある家」と聞くと、「大きな地震が来ても壊れない家」をイメージする方も多いかもしれません。しかし、建築基準法が求めている耐震性能は、どんな大地震が起きても建物を無傷のまま残すことを目的としたものではありません。現在の耐震基準では、大きく分けて二つの規模の地震を想定して考えられています。

一つは、震度5強程度の中規模地震です。

これは建物を使用している間に遭遇する可能性のある地震を想定したもので、この程度の揺れに対しては、建物に大きな損傷が生じないことを基本的な考え方としています。もちろん、実際の地震では揺れ方や地盤の状態、建物の形状や経年劣化など、さまざまな条件によって被害の程度は異なります。そのため、「震度5強ならまったく被害が出ない」という意味ではありません。

そしてもう一つが、阪神・淡路大震災クラスの震度6強~7程度の大規模地震です。

このような極めてまれに発生する大きな地震に対しては、建物がまったく損傷しないことを求めているわけではありません。建物に一定の損傷が生じたとしても、倒壊・崩壊することによって中にいる人の命が奪われることを防ぐ、という考え方になっています。

簡単にまとめると、

震度5強程度の地震では、大きな損傷を生じないことを目指す。

震度6強~7程度の大地震では、損傷する可能性はあっても倒壊・崩壊を防ぎ、人命を守る。

という考え方です。

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ここは住宅の耐震性を考えるうえで、とても大切なポイントです。「耐震基準を満たしている=大地震の後も無傷で、そのまま住み続けられる」という意味ではありません。大地震に対して最も優先されるのは、建物を無傷で残すことではなく、建物の倒壊・崩壊によって人命が失われることを防ぐことなのです。

耐震基準は大地震の被害から見直されてきた

日本の耐震基準は、最初から現在のような形だったわけではありません。大きな地震が発生するたびに、倒壊した建物を調査し、「なぜ壊れたのか」「何が足りなかったのか」を検証しながら基準が見直されてきました。

まず、その大きな流れを簡単な年表で見てみましょう。

木造住宅の耐震基準・大地震の主な変遷

 %e8%80%90%e9%9c%87%e5%9f%ba%e6%ba%96%e3%81%ae%e5%a4%89%e9%81%b7この中でも、木造戸建て住宅について特に知っておきたいのが、「1981年」と「2000年」という二つの節目です。

1981年――「新耐震基準」の登場

現在の耐震基準を考えるうえで、大きな転換点となったのが1981年(昭和56年)です。1978年に発生した宮城県沖地震など、それまでの地震被害を踏まえて耐震基準が大幅に見直され、1981年6月から、いわゆる「新耐震基準」が導入されました。

それまでの耐震基準では、中規模の地震に対して建物が損傷しないことが主な考え方でした。新耐震基準ではそれに加えて、震度6強~7程度の非常に大きな地震が発生した場合についても、建物が倒壊・崩壊して人命に危害を及ぼさないことを目標とする考え方が取り入れられました。木造住宅についても、必要とされる壁量が見直されるなど、耐震性能の強化が図られています。そのため、住宅の耐震性を考える際には、現在でも「1981年以前か、それ以降か」が一つの大きな目安になっています。

1995年――阪神・淡路大震災が突き付けた木造住宅の弱点

しかし、新耐震基準ができたことで住宅の耐震対策が完成したわけではありませんでした。1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災では、多くの木造住宅が倒壊し、多数の犠牲者が出ました。特に古い耐震基準で建てられた住宅の被害が大きく、建物の倒壊が人的被害につながることが改めて明らかになりました。

一方、木造住宅が地震に耐えるためには、単純に「壁が何枚あるか」だけでは十分ではありません。

例えば、

・耐力壁が建物の中でバランスよく配置されているか
・柱と梁、土台などが適切に接合されているか
・柱が地震による力で引き抜かれないよう対策されているか
・地盤に応じた基礎になっているか

といった部分も非常に重要です。こうした地震被害の検証などを経て、木造住宅の基準はさらに見直されていくことになります。

2000年――木造住宅にとってもう一つの重要な節目

そして2000年(平成12年)、木造住宅の構造に関する規定がさらに明確化されました。

主なポイントとして、

・地耐力に応じて採用できる基礎の種類
・耐力壁をバランスよく配置するための方法
・筋かいや柱の柱頭・柱脚など、接合部の緊結方法

などが明確になりました。

特に「壁の配置」と「接合部」は重要なポイントだと感じます。いくら必要な耐力壁の量を確保していても、その壁が建物の一方に偏っていれば、地震の際に建物がねじれるような力を受ける可能性があります。また、地震の力によって柱には、土台などから引き抜かれる方向の大きな力がかかる場合があります。その力に対抗するため、必要に応じてホールダウン金物などの接合金物を使用し、柱や土台などを適切に緊結することが重要になります。

そのため木造戸建て住宅について考える場合、1981年の「新耐震基準」だけでなく、2000年も重要な節目の一つとして知っておいてほしいと思います。

2016年――熊本地震で見えてきたこと

2016年(平成28年)の熊本地震では、最大震度7を記録する非常に大きな揺れが短期間に繰り返し発生しました。

この地震でも、建築された年代によって木造住宅の被害状況に違いが見られました。

旧耐震基準の木造住宅では大きな被害が確認された一方、新耐震基準導入後の住宅でも、2000年に接合部などの規定が明確化される以前に建てられた住宅には、倒壊などの被害が確認されています。つまり、

「1981年以降の新耐震だから絶対に大丈夫」

と考えるのではなく、木造住宅については「いつの基準で、どのように建てられた住宅なのか」まで見ていくことが大切なのです。

「耐震基準」と「耐震等級」は同じものではない

ここまで耐震基準についてお話ししてきましたが、住宅の耐震性について調べていると、もう一つよく目にする言葉があります。それが「耐震等級」です。耐震基準と耐震等級は似た言葉ですが、意味は同じではありません。

建築基準法で定められた耐震基準は、住宅を建てる際に守らなければならない最低限の基準です。一方、耐震等級は「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」に基づく住宅性能表示制度の中で、住宅の耐震性能を等級によって分かりやすく示したものです。

耐震等級1

建築基準法で求められる耐震性能と同等レベルです。

耐震等級2

耐震等級1で想定する地震力の1.25倍の力に対する強さがあります。

耐震等級3

耐震等級1で想定する地震力の1.5倍の力に対する強さがあり、住宅性能表示制度では最も高い耐震等級です。

ここで注意してほしいのは、「新しい住宅だから耐震等級3」というわけではないということです。建築基準法の耐震基準を満たしていることと、住宅性能表示制度によって耐震等級が評価されていることは別の話です。これから住宅を建てたり購入したりする方は、「耐震基準を満たしているか」だけでなく、耐震等級についても確認してみるとよいでしょう。

あなたの家は、いつ建てられましたか?

ここまで読んで、「では、わが家は大丈夫なのだろうか?」と思われた方もいるかもしれません。まず確認してほしいのが、住宅が建てられた時期です。

木造戸建て住宅の場合、大まかな目安として、

1981年5月以前

1981年6月~2000年5月

2000年6月以降

という三つの時期に分けて考えることができます。

1981年以前の旧耐震基準の住宅だからといって、すべての住宅が危険というわけではありません。すでに耐震診断や耐震改修が行われている住宅もありますし、建物の状態も一棟一棟違います。しかし、現在まで耐震診断を一度も行っていないのであれば、有料になってしまいますが、一度専門家による耐震診断を検討する価値はあると思います。

そして意外と見落とされやすいのが、1981年6月から2000年5月までの木造住宅です。この時期の住宅は新耐震基準で建てられています。そのため「新耐震だから大丈夫」と考えてしまいがちですが、2000年に木造住宅の接合部や耐力壁の配置などに関する仕様が明確化される以前の住宅でもあります。

築年数を見るときには、「新耐震か旧耐震か」だけでなく、「2000年前後」も一つの重要な目安として知っておいてほしいと思います。

建てた時の耐震性能が、そのまま現在の耐震性能とは限らない

そして、住宅の耐震性を考えるうえでもう一つ知っておいてほしいことがあります。それは、「建築当時の耐震性能」と「現在の住宅の状態」は必ずしも同じではないということです。住宅は長い年月、雨や風、湿気などにさらされながら使われます。例えば、

・雨漏りによって柱や梁などの構造材が腐食している
・シロアリによる被害を受けている
・基礎に大きなひび割れが発生している
・建物に傾きが生じている

こうした状態になれば、建築当時に耐震性が確保されていた住宅でも、その性能を現在も同じように発揮できるとは限りません。さらに注意したいのが、増築やリフォームです。例えば間取りを大きく変更するために壁を撤去した場合、その壁が地震に抵抗するために必要な耐力壁だった可能性もあります。もちろん、適切な構造検討を行ったうえで必要な補強がされていれば問題ありません。しかし古い住宅では、過去にどのような工事が行われたのか、図面や記録が残っていないケースもあります。だからこそ住宅の耐震性は、

「築何年だから大丈夫」
「新耐震だから大丈夫」

と単純に判断するのではなく、現在の建物の状態まで含めて考える必要があるのです。

中古住宅を購入するときにも知っておきたい

これは、これから中古の木造戸建て住宅を購入しようとしている方にも同じことが言えます。ただし、ここで誤解してほしくないのは、中古住宅を購入するときに確認すべきことが「耐震性だけ」という意味ではありません。

雨漏り、シロアリ、給排水設備、断熱性能、過去の修繕履歴、土地や周辺環境など、確認すべきことはたくさんあります。

耐震性は、その中の重要な項目の一つです。

耐震という観点から見るのであれば、建築された年代を確認したうえで、

・耐震診断を受けたことがあるか
・耐震改修を行った履歴があるか
・設計図書や確認申請関係の資料が残っているか
・増改築や大きな間取り変更を行っていないか
・雨漏りやシロアリなど、構造材を傷めるような不具合がないか
・基礎や建物に大きなひび割れ、傾きなどがないか

といった点も確認してほしいと思います。

特に1981年6月から2000年5月までに建てられた在来軸組構法の木造住宅については、「新耐震」という言葉だけで判断せず、必要に応じて専門家に耐震性を確認してもらうことも選択肢の一つです。

大切なのは「わが家を知ること」

日本の耐震基準は、大きな地震が発生するたびに、その被害を調査し、原因を検証しながら改善されてきました。1950年に建築基準法が制定され、1981年には新耐震基準が導入されました。そして阪神・淡路大震災などの被害を経て、2000年には木造住宅の接合部や耐力壁の配置などについて、より具体的な仕様が明確化されました。さらに熊本地震では、建築された年代や仕様によって被害状況にも違いが見られました。

しかし、今回一番お伝えしたかったのは、

「古い家は危険で、新しい家なら安全」

ということではありません。

大切なのは、自分の住んでいる住宅がいつ建てられ、どのような基準で設計され、その後どのように維持されてきたのかを知ることです。そして、耐震基準を満たしている住宅であっても、「大地震が来ても絶対に壊れない」と保証されているわけではありません。

大地震に対する耐震の大きな目的は、建物を無傷で残すことではなく、倒壊・崩壊によって人命が失われることを防ぐことです。

最近の地震を見て「わが家は大丈夫だろうか」と少しでも気になったのであれば、まずは建築された年代を調べ、手元に建築当時の図面や資料が残っているか確認してみてはいかがでしょうか。そして必要であれば、専門家による耐震診断を検討する。

自分の家がどのような住宅なのかを知ること。

それが、地震に備える最初の一歩になるのではないでしょうか。

本日も最後までブログを読んでいただき、ありがとうございました。

2026
09.4
リフレッシュのための「鉄道旅行」⑦ ~日本本土四極踏破旅 その4 最北端編~

7回目の投稿です。よろしくお願いします。

今回は『日本本土四極踏破旅 その4 最北端編』ということで2025年の2月に鉄道旅行をした時のお話をさせていただきます。

日本本土四極踏破旅も今回の最北端の旅が最後となります。最北端といえば皆さんもご存じの通り、北海道の「宗谷岬」でございます。北海道の冬は極寒で有名ですよね。それも北の端、風も強く吹きますので体感温度はもっと寒く感じる場所です。夏に行けば何のことはなく目的を達成する事となります。しかし、せっかく思い出に残る旅にしようと思えば極寒の北海道に足を運んで目的を達成することが一番いいと思いました。ということで2月に決定、本土最北端を目指した4泊5日の旅のはじまりです。

《1日目》

3泊4日といえども実はフライト予定時間が早すぎてチェックインの時間に始発電車に乗っても間に合わないことがわかり、急遽中部国際空港の近くの東横インに泊まりました。当初フライトの当日に車で行こうとも思いましたが道路の凍結や渋滞など不安要素もありましたので、仕方なく前泊になった次第です。空港内のラーメン店で晩ご飯を食べてからチェックインをし、おつまみとビールを飲みながら北海道での行程を確認して1日目終了。(遅くまで大声で騒いでいる宿泊者がいたのであまり寝ることができませんでした。)

《2日目》

早朝、Peach便で新千歳空港には9時前に到着。初めての冬の北海道に上陸です。今日のうちに宿泊先の稚内へと向かいます。まず初めにするのがJRの券売機で今回利用する「きた北海道フリーパス」を購入します。この切符はきた北海道フリーエリア内の普通列車(快速含む)の普通車自由席、座席未指定券を設定する在来線特急列車の普通車指定席の空席が3日間乗り放題というフリーパスです。また普通車指定席が4回まで利用可能で、道北方面及び旭川、富良野・美瑛をワイドに周遊観光するにはぴったり!っと言うかこの乗車券に合わせて旅行を計画するのがお得だと言ったほうがいいかもしれませんね。さらに帰りの飛行機の便の機内販売の利用券(1,000円分)が付いてきます。乗車券の説明は以上で、乗車券を購入したらすぐにみどりの窓口まで行き、今回の旅行で利用予定の指定席をすべて手配します。空港で少し時間を取っていましたので早めの昼食とお土産を購入し早々と宅急便で自宅に送りました。この先何が起こるかわからないので最低限のお土産は確保できました。さてここから最北端駅「稚内駅」に向かって長い道のりが始まります。

まず空港からはおなじみのJR千歳線の「快速エアポート」に乗車して札幌駅に向かいます。札幌駅に着くと乗り換えてJR函館本線の「特急ライラック」に乗車して旭川駅に向かいます。

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写真①快速特急エアポート(新千歳空港~札幌間)

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写真②特急ライラック(札幌~旭川間)

旭川駅までは比較的列車の本数も多いので問題なく移動できるのですが、ここから稚内に向けてはそんなに本数がありませんし、特に冬なので列車が運休になることも考えられます。運よくその日は予定通り運行されたので道中何もなければ目的地に行けそうで一安心しました。旭川駅からはJR宗谷本線「特急サロベツ」で約4時間の鉄道旅です。

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写真③特急サロベツ(旭川~稚内間)

冬の北海道の景色は初めて見ましたので車窓から景色を眺め続けることは飽きることがありませんでした。

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写真④・⑤車窓からの風景(JR宗谷本線)夕方5時30分頃、無事稚内駅に到着しました。(先発の車両が鹿との衝突があって少し遅れたくらいで済みました。疲れたけど楽しかった~)これで鉄道乗り継ぎ旅としてはJR宗谷本線走破です!列車から出た瞬間これが北海道最北の寒さかっ!と感激。余韻に浸りながら宿泊先まで徒歩で向かうのでした。

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写真⑥・⑦最北端の駅JR稚内駅

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写真⑧駅前に最北端のポケモンマンホールがありました

北海道の雪はパウダースノーって聞いていたのでサラサラした感じなのかなと思っていましたが歩道はアイスバーンになっていて慣れないですし、めちゃくちゃ歩きにくかったですね。5分ほど歩いてホテルに着きました。今回お世話になったホテルが「ドーミーイン稚内」でしたが、たまたまリニューアルセールだったのか破格の5,900円で宿泊できました。屋上には露天風呂もついていましたので、翌朝に朝風呂で景色を眺めながら身体はぽかぽか・頭は凍り付ていましたが気持ちよく入浴できました。

少し話を戻してホテルに到着後、夕食を食べに稚内の街に繰り出しました。基本シーズンオフの時期なので飲食店も休業気味?それでも事前に調べておいたお店に向かいます。今日の夕食は「ラーメン大王」さんです。ここでは稚内のソウルフードと呼ばれている「チャーメン」を食べました。見た目はあんかけ焼きそばとかわらないのですがあんかけ焼きそばは蒸した中華麺、チャーメンは茹でた中華麺を使い油で炒めるのが特徴で、ありそうでない「あんかけ焼きラーメン」だそうです。見た目ではわかりませんがとにかく美味しくいただきました。

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写真⑨ラーメン大王さんの外観

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写真⑩・⑪稚内のソウルフードの「チャーメン」とサッポロラガービール

お腹を満たした後は稚内駅と南稚内駅の中間にある温泉施設「ヤムワッカナイ温泉」に散歩がてら歩いて行きました。冷えた体を広い湯船で温めます。目の前には稚内港があり以前はここからウラジオストック行きの便があったそうです。帰りは北海道おなじみのコンビニ「セイコーマート」で夜食と明日の朝食を購入し、南稚内駅に行き、汽車で稚内駅に戻ることにしました。歩いてわかったのは、とにかく建物の周りには見たことのないような雪の量と、見たことのないような巨大な氷柱が当たり前にある場所なんだなって実感しました。もしかしたら冬でもクマが出るのでは!っと恐怖を抱きつつも無事にホテルに帰ってこれました。ホテル名物「夜泣きそば」もしっかりいただき、部屋でビールを飲みながら明日の行程を確認して2日目終了。

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写真⑫完全に入口が雪で塞がっている家(どうやって入るのか?)

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写真⑬巨大な氷柱(刺さると大けが間違いないですね!)

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写真⑭終点の一つ前の駅「南稚内駅」(こちらの駅周辺の方が栄えています)

《3日目》

今日はいよいよ本土最北端の地「宗谷岬」に向かいます。本来ならレンタカーを借りて観光をしたかったのですが、さすがに今回は雪道を想定していますので少し金額がかかりますが事前に観光タクシーを手配しました。(3時間20,000円ほどしました。割り勘できる相手がいればもっと安くなるのですが1人旅では仕方ありませんね)いざ宗谷岬に出発です。最北端地は風が強く気温以上に寒いと言われておりましたが、その日は幸か不幸か予想外に穏やかな天候でした。道中に野生のキタキツネがいました。(近づいても逃げるそぶりもなたったですね)また海の向こうには樺太がはっきり見えていました。タクシーの運転手さんに聞くとこの時期こんなに天気がいい日もないし、はっきり樺太が見えるのも珍しいとのことでした。それはそれで嬉しいことですが私はかなりハードな形で日本本土四極踏破旅のフィナーレを迎えたいと思っていましたのでそういう意味では少し残念でなりませんが…。ということであっさり最北端の地「宗谷岬」達成です!自分お疲れ!これで日本本土四極踏破旅は終わりますが日本にはまだまだ行ったことのない魅力的な場所がたくさんあります。鉄道を通じて1人で、家族で、または友人、または同好会の人たちと楽しい旅行記を綴れればと思っております。今後ともお付き合いいただければ幸いです。

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写真⑮宗谷岬最北端のモニュメント(見てわかるように穏やかないい天気でした)

ということでここからは旅の続きを書いていきますね。宗谷岬には30分程で行けましたのでそこから少し足を運んでいただいてホタテの養殖で有名な猿払村を見てきました。テレビではよく話題になっていましたが本当に大きなお屋敷が立ち並んでいました。タクシーの運転手さんも転職するときにホタテの養殖したらよかったと笑っていましたね。稚内も米ソ冷戦時代は米軍の基地があり、産業も賑わっていたそうで昔のことを懐かしく話していただきました。運転手さんの夢は高校野球で稚内が属する名寄支部からの出場校がまだ無いそうで、甲子園で名寄支部の高校が出場することを楽しみにしているようです。猿払村を見渡してからは元の方向に戻り反対側のノシャップ岬に行きました。ノシャップ岬は夕日が沈む時間帯には海と空が織りなす幻想的な光景が広がり、多くの観光客を魅了するそうです。(今回は朝ですが…)

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写真⑯ノシャップ岬(夕方ではないので誰もいませんでした)

続いて「北門神社」に参拝して御朱印をいただきました。北門神社は稚内港を見下ろす小高い場所にあります。神職が常駐する神社としては日本最北です。

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写真⑰神職がいる最北端神社である北門神社(景色が良かったです)

また、御朱印が受けられる日本最北端の神社でもあります。続いて「稚内港北防波堤ドーム」に向かいました。一目見て魅了されました。素晴らしい建築物ですね。

稚内港北防波堤ドームは1931年から建設され、1936年に完成しました。全長427m、高さ13.6m、柱の数は70本あり、半アーチ型の古代ローマ建築を想わせる回廊は、世界でも類のない建築物です。2001年に「北海道遺産」、2003年には「土木遺産」に指定されています。「稚泊航路」(稚内と樺太の大泊(現:コルサコフ)を結ぶ航路)の運航が始まった1923年当時は、現在の南稚内駅が鉄道の終着駅であり、乗客は船着場までの1.6㎞を、冬でも徒歩で歩いていました。その苦労を解消するため、1928年に稚内港駅(現:稚内駅)まで鉄道が延伸。1938年日にはドーム前面に「稚内桟橋駅」が開業されました。これにより、乗客は列車を降りたあと、そのまま連絡船への乗継が可能となりました。1945年に稚泊航路は廃止になり、現在では年間を通して様々な催しが開催されており、また、映画やCMのロケ地としても利用されることがあるそうです。ここまで線路が伸びていたのを想像するとテンション上がりますね。

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写真⑱・⑲稚内港北防波堤ドーム

タクシーの運転手さんと別れ、ちょうどお昼ごはんの時間になりました。稚内駅近くに「車屋・源氏」さんというお店があります。この辺りは「たこしゃぶ」が有名で事前に予約しておきました。このお店は以前、TV番組で六角精児さんが訪れており、それを知っていたのでぜひ伺いたいお店の一つでした。そのことを店員さんに伝えるとまさにお客様が座っている場所に六角精児さんが座っていましたよって言われて少し嬉しかったです。とにかくたこしゃぶなるものを食べたことがなかったので店員さんに食べ方を教えてもらいながら美味しくいただきました。また、タクシーの運転手さんからの情報で、この時期は「銀杏草」と呼ばれる海藻が採れるのですが、生産量が減っていくのと同時に極寒の中で海藻を採る人も高齢化し減っているそうで、年々収穫量が減っているそうです。なかなか出回らないので、もしあれば美味しいから食べたほうがいいよと聞いていましたので店員さんに尋ねると銀杏草の入ったお味噌汁を出していただけました。冷え切った身体に、熱燗とたこしゃぶと銀杏草のお味噌汁、最高ですね。ありがとう稚内、今度来るときは暖かい時期に礼文島や利尻島に足を運んでみたいですね。

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写真⑳六角精児さんが立ち寄ったお店「車屋・源氏」

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写真㉑たこしゃぶです。(美味しかったです!〆はラーメンを入れるそうです!)

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写真㉒タクシーの運転手の方に教えてもらった銀杏草の味噌汁(これも美味しかった!)

 そんなこんなで昼食後12時30分のJR宗谷本線特急サロベツに乗車し、次の目的地、旭川市に向かいます。旭川に向かう途中、予定では美深駅で下車し、ブルワリー等立ち寄って夜遅く旭川に入るつもりでしたが、乗車中雪深くなってきていたので美深駅で足止めになると困るのでノンストップで旭川に入ることにしました。予定より早くホテルにチェックインできたのでブラブラと街を散策しながら晩ごはんを食べに行きます。実際、稚内が天気が良すぎて思ったより寒さを感じなかったのですが(寒いですけど)内陸の方が底冷え感がありましたね。でも風がなかったので深々と雪が降る感じの寒さです。ただ街でも建物の屋根の雪の塊が結構あり雪国に慣れない私から見たら「落ちてきたら一発であかんやろな」という感じです。雪国の寒さを体感しながら街ブラ最高です。ブラブラしながら晩ごはんの目的地であります「自由軒」さんに来ました。すでに店外に行列ができており、ここからは、順番を待つだけの我慢大会のスタートです。このお店は昭和感漂うたたずまいで、「孤独のグルメ」ロケ地になったお店です。ですので地元の方というよりドラマを見て観光で来られた方がほとんどでしたね。(何故か外国人ばかり)1時間ほど並びました。ドラマの放送もあってか「五郎セット」というメニューがあり番組で食べたのでしょうね、カニクリームコロッケ、ホッケフライ、ごはん、みそ汁というセットです。私も同じものを注文し食べました。(今回は稚内と違って出演者の方と同じ席ではありませんが…)衣がサクサクでとても美味しかったです。愛想のいい店員さんばかりでもっとゆっくりしたかったのですが、常に満員でしたので、ご迷惑をかけないようにビールも飲まず、さっさと食べてお店を後にすることにしました。それからまた街をブラブラ散策です。旭川市だけに夜もたくさん人がいますのでクマは出てきても大丈夫そうなので安心です。少し小腹が減ってきたので以前友人に教えてもらったラーメン屋「天金」さんに行ってきました。ザ・旭川ラーメンです。スープに少しだけ幕が張っていて一口飲むとクセがなく、醤油の辛みだけでなく、甘みやコクを感じさせる美味しいスープでした。ホテルに帰る道中、おなじみのセイコーマートで夜食と明日の朝食を購入し、部屋でビールを飲みながら明日の行程を確認して3日目終了。

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写真㉓ライトアップされた旭川市内の大通り

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写真㉔孤独のグルメで紹介された洋食屋の「自由軒」

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写真㉕五郎セット

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写真㉖天金さんのラーメン

《4日目》

前日に日本本土四極踏破旅は幕を下ろしたのですが、これからはもう一つの目的である「鉄道乗り継ぎ旅」の始まりです。冬の北海道をなめていましたね!5時にチェックアウトをし、まず旭川駅からJR函館本線特急ライラックに乗車し乗り継ぎ駅の滝川駅に向かいます、そこまでは順調な滑り出しでした。6時前に滝川駅に到着しここからJR根室本線で富良野駅に向かう予定でした。しかしここで雪国の試練が待ち受けていたのです。なんと予定の列車が車輪の凍結で運休になってしまったのです。この日は美瑛でスノーシュートレッキングの予約も入れていましたので急遽旭川駅に戻り、JR富良野線で美瑛駅に向かうことになりました。冬の北海道おそるべし!本来ならばJR根室本線・富良野線を走破する予定でしたがどちらも未走区間が出来てしまいました。次回にお預けです。臨機応変に立ち回りができて予約していたスノーシュートレッキングにも参加できましたのでよかったのですが…。気をとりなおして、スノーシュートレッキングの話をします。美瑛駅に到着です。とにかく韓国からの若い旅行者が多かったですね。なぜか彼らはコカ・コーラの自動販売機と一緒に写真撮っていました。流行っているのでしょうかね。

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写真㉗何とかたどり着いた美瑛駅(若い韓国人の観光客がたくさんいました)

私はすぐ横の観光案内所でガイドさんと合流です。ガイドさんの車に乗って移動です。参加者は平日なので私一人でした。(ラッキー!)ここでも前も見えないぐらいの吹雪の中、極寒の雪道をひたすら歩くのを想像していたのですが(むしろ望んでいましたが)めちゃくちゃ天候が良く防寒具を着ていたのですが汗をかいてしまうほどの気温でした。(早朝の車輪の凍結は何だったのだ!)ガイドさんも今日の天候は恵まれていると言っておられましたが私的にはやっぱり少し残念な気持ちです。しかし好天のおかげで美瑛の丘まで誰の足跡もついていない新雪を踏みしめながら歩くこと約1時間、美瑛の丘から見る景色は最高によかったです。ガイドさんが用意してくれた暖かいハーブティーを飲みながら、美瑛の丘の上でゆっくりと時間が流れる非日常感に没入できたことは生涯忘れることがないでしょう。ガイドさんもこの景色に感動して東京からご夫婦で移住されてきたそうです。美瑛では本当は熱気球に乗る体験をしたかったのですが時間が合わず断念したのですが次回来ることがあったら熱気球も体験したいです。

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写真㉘道のりはまだまだ続く、最高の景色を目指して頑張るぞ!

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写真㉙シュートレッキングでたどり着いた北海道の大地と空だけの景色(感動しました!)

美瑛を後にし、行きに来た経路で滝川駅に戻ります。14時に滝川駅に到着です。少しお昼を過ぎてしまいましたが徒歩10分程度の所に「松尾ジンギスカン本店」があります。新千歳空港にも店舗がありますのでご存じの方もいると思いますが、空港店ではなく、どうせなら本店でジンギスカンですよね。事前に予約をしていたのでスムーズに食事にありつけました。ここでは「ラムリブロースジンギスカン」と生ビールを注文、ジンギスカンで食べる肉はクセが強そうでどうかな~と思っていたのですが、想像以上に美味しくて結局、肉追加、ビールおかわり、肉追加、ビールおかわりの連発で小宴会みたいになってしまいました。まだこの日は予定があるんですけどね。ベロベロになりながらも歩いて滝川駅まで戻りました。

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写真㉚松尾ジンギスカンの本店

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写真㉛ジンギスカンと生ビール(美味しくて箸が止まりませんでした~)

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写真㉜滝川市内の様子(内陸はどこもこんな感じで道路わきに雪が積み上げられてます)

JR函館本線に乗車し深川駅に行きます。深川駅からはJR留萌本線に乗り換えて終点の石狩沼田駅に向かいます。留萌本線は、深川市の深川駅から増毛郡増毛町の増毛駅を結んでいましたが。利用者の減少により、2016年から一部区間の廃止が段階的に始まり、2026年4月1日に全線が廃止されました。私も全線が廃線になることをニュースで知っていたので何としても今回の旅行で乗車しておきたたった路線なのです。それを知っていると車窓から見える景色も変わってきますね。先ほどの美瑛とは変わって、乗車した時間帯には少し吹雪いていました。それでもディーゼル車両は一面の雪化粧のなか、力強く前進します。ありがとう留萌本線!

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写真㉝こちらも雪深い深川駅のホーム

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写真㉞廃線前に乗車できました!お疲れさまでした留萌本線!

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写真㉟終点の石狩沼田駅(これから駅舎はどうなるのでしょうか?)

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写真㊱石狩沼田駅でお出迎えしてくれた雪だるま。(少し寂しさを感じさせますね)

留萌本線を折り返し乗車し、深川駅まで戻りJR函館本線で本日の宿泊先の岩見沢駅に向かいます。チェックインを済ませ、岩見沢の市街地に歩いて向かいます。晩ごはんには美唄やきとりの元祖といわれる「福よし」の岩見沢店で食事をしました。美唄やきとりは、鶏の頭から皮、内卵、内臓などのさまざまな部位とたまねぎを一つの串に刺して焼いた「モツ串」のことをさすそうで、また長ねぎではなくたまねぎを使用するのも特徴です。その理由としては、農業が盛んな美唄市周辺はたまねぎの産地としても有名であり、長ねぎよりも比較的安価に質の良いたまねぎが手に入るからだそうです。早速、美唄やきとりと生ビールを注文。お世辞抜きで美味い!お昼のジンギスカン同様、追加の連発です!締めに食べた鶏だしそばも最高に美味しかったです。あーこれで冬の北海道も終わりかー。明日は帰るのかー。店を出ると思ったより大粒の雪が降っていました。またまた道中にあったおなじみのセイコーマートで夜食と明日の朝食を購入し、部屋でビールを飲みながら明日の行程を確認して4日目終了。

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写真㊲夜の岩見沢駅

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写真㊳福よしの美唄やきとり(ビールと相性抜群ですね!)

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写真㊴〆で食べた鶏そば(おなかに優しいまろやかな味でした!ご馳走様!)

《5日目》

 最終日、起床し朝食を部屋で済ましたらスーツケースを宅急便で自宅に送ります。早起きできたので帰りの飛行機の便まで時間の許す限り未走路線に乗車しようと思います。岩見沢駅からJR函館本線に乗車し新札幌駅まで向かいます。

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写真㊵早朝の岩見沢市内(内陸は底冷えしますね~)

ここからは地下鉄専用1日乗車券を購入して札幌市営地下鉄の未走路線を乗り潰していきます。東西線・東豊線・南北線と乗り潰し、札幌市営地下鉄走破です!南北線終点の麻生駅からは地上に上がって今度はJR札沼線の新琴似駅まで歩きます。まずは終点の北海道医療大学駅まで乗車します。そのまま折り返し乗車で札幌駅まで乗車してJR札沼線も走破です。自分お疲れさまでした!帰りの飛行機にも間に合い予定通りのフライトでセントレアまで無事に戻ってこれました。

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写真㊶地下鉄東豊線終点の福住駅から歩いて札幌ドームの外観を見に行きました。

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写真㊷札沼線(学園都市線)で北海道医療大学駅へ向かいます。途中にはおなじみのROYCE‘のチョコレート工場があるロイズタウン駅もあります。

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写真㊸かなり埋まっている北海道医療大学駅

おわりに・・・

今回の旅行、振り返ると冬の北海道の立ち回り方の勉強になりました。初日は鉄道で稚内まで行きましたが、夏なら心配が少ないかもしれませんが今回は真冬の移動でしたので、飛行機、鉄道のどちらかが運休や遅延があっても目的地にたどり着かなかったことを考えると何処かに拠点を置いてあちこち移動しながらの行程は避けることがいいと思いました。(実はスーツケースを稚内のホテルに送る予定にしていたのですが出発の2~3日前に北海道で大雪があって運送の遅延が見込まれるので配送できないと言われて空港受け取りに変更した経緯がありまして強引に送って本人が稚内に行けなかったら荷物が受け取れないことになっていたので結果この選択で正解だったと思います)始発は運休になる確率が高いので出発は朝日が昇ってからの方がいい。(車輪が凍結するとは思いませんでした)歩くのはほどほどにしておく方がいい。(慣れない雪道は転ばないように踏ん張りながら自然と歩いてしまうので太ももの内側が筋肉痛になりがちです)今後冬の時期に雪国に行くようなことがあれば反省を踏まえてもっと楽しい旅行にしたいと思います。長文になってしまいましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回はリフレッシュのための「鉄道旅行」⑧憧れのクルーズトレイン「四季島」編をお話しする予定です。

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