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見学会・内覧会
2025
05.28
「田舎ならではの行事」

私の地元 土岐市の消防操法大会があり家族を連れて行ってきました。

私も35年前 団員として活動しており懐かしく感じました。

 

はたらく車が大好きな1歳の息子は何台も並んでいる消防車に

大興奮!!

消防車まで覚束ない足取りで駆け足する息子をみて

妻と大爆笑。

子供の喜ぶ姿を見る事は親として1番の喜びで癒しになります。

 

私の同級生の好意で消防車の運転席に乗せてもらい息子のテンションは

最高潮に!!

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ちびっこ防火服を着させてもらいました。

親としては絶好のシャッターチャンス到来でしたが

息子は消防車しか見えてなく後ろ姿をパシャパシャ。

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楽しく貴重な時間を過ごすことが出来ました。

 

消防団の皆さんは各々 仕事をして活動もしてくれています。

私が仕事帰りに小学校の横を通ると照明をつけ操法大会の

練習を毎日行っている姿をみると応援したい気持ちになります。

 

消防団に対し賛否両論ありますが消防団としての活動は

大変な事が多いです。

地元の為に尽力して下さる方に本当に頭が下がります。

今後も微力ながらも協力出来ることは行い

周りを巻き込んで良い渦を作りたいと思います。

2025
05.17
もうひとつの太陽の塔

「今年は何連休?」

毎年話題になるゴールデンウィークの期間ですが、今年は4月26日(土)から5月6日(火・振休)までつなげて「最大11連休!!」という方もいたのではないでしょうか。皆様はどのように過ごされましたか?

そんな連休中にこんなニュースを目にしました。

 

1970年大阪万博跡地の万博記念公園(大阪府吹田市)が、開幕中の大阪・関西万博の会場と間違えて来場する人が相次いでいるとして、注意を呼びかけている。ホームページ上で今回の万博会場は人工島・夢洲(大阪市此花区)だと紹介し「お間違えのないよう十分にご確認ください」としている。

公園の入場窓口にも、英語表記と併せて注意書きを掲載している。夢洲は会場に直結する大阪メトロ中央線や、主要駅からのシャトルバスなどで行ける。万博記念公園からは直線で約20キロ離れている。

万博記念公園は、1970年万博のシンボルとなった「太陽の塔」などが現存している。

 

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「こんな間違いあるんだね~」

友人と食事をしながらこのニュースについて話をしていた際に、万博つながりで「もうひとつの太陽の塔」についての特集が放送されていました。

 

1970年の大阪万博でシンボルとなった「太陽の塔」。デザインした岡本太郎氏は開幕前年に「兄貴分」のオブジェを制作していた。

「若い太陽の塔」と呼ばれ、愛知県犬山市の丘にそびえ立っている。

直径4mの顔部分も含めた塔の高さは本家の3分の1程度で26m。動物園に隣接した遊園地「日本モンキーパーク」の敷地にある。

広報担当者によると、施設の運営母体だった名古屋鉄道が大阪万博のプレイベントを開くことに伴い、シンボルタワーの制作を岡本氏に依頼したという。

1969年、太陽の塔にある三つの顔のうち、正面に位置する「太陽の顔」と同じデザインのオブジェ「若い太陽」が完成し、除幕式が開かれた。

その後、地元の有志が展望台を設けた棟を建設。これにオブジェが掲げられて「若い太陽の塔」になった。

 

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棟の近くには、岡本氏の言葉が刻まれたプレートがある。

<生命の象徴、金色に輝く顔はおおらかにバイタリティを放射する>

2025年4月に大阪・関西万博が開幕した。半世紀の時を超えて万博のエネルギーを感じ取れる場所として「若い太陽の塔」は今、ひそかに注目されている。

 

日本モンキーパークは、子供の頃に何度か訪れた場所ですので、「若い太陽の塔」についての記憶はありますが、大阪万博とのつながりについては考えたことがありませんでした。

大阪・関西万博はもちろんですが、万博記念公園の「太陽の塔」、そしてもうひとつの太陽の塔である「若い太陽の塔」にも訪れてみたいなと思った2025年のゴールデンウィークでした。

2025
05.2
おそと時間の楽しみ方18

ゴールデンウィーク真っ只中、新年度を迎えてから初めての長期連休ですね。

さて、今回は愛知県清須市を訪れました。

名古屋駅より20分ほどの名鉄名古屋本線新清須駅を下車し、五条川周辺を散策していたら、清洲城信長「鬼ころし」で有名な

清洲桜醸造の工場がありました。また、キリンビール名古屋工場では、工場見学もできるようでした。

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五条川をさらに進むと、風格ある清洲城の登場です。

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清洲城は、JR東海道本線、名鉄名古屋本線、東海道新幹線の車窓より見ることが出来る城です。

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清洲城天守より 雨模様でしたが、名古屋駅周辺と名古屋城を確認できました。

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戦国中スポがいい感じでしたので、隅々までしっかり読みました。

清洲城は、室町時代応永12年(1405)、尾張国の守護職であった斬波義重が、守護所であった下津城の別郭として建てられたのが始まりといわれています。後の戦乱により下津城(今の稲沢市で清洲城より車で15分くらい)は焼失し守護所が清須に移転したことで、清須が尾張国の中心地として繁栄していったといわれています。

弘治元年(1555)に織田信長が那古野城から入城し、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長は、天下統一への第一歩を踏み出しました。

天下統一への途上、「本能寺の変」で斃れた信長の跡目を決める、かの有名な「清須会議」の後、城主となった次男、信雄によって改修された清洲城の城郭は、天守を備え東西1.6キロ、南北2.8キロにも及ぶ巨大な城郭の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として最大規模に達します。

その後、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城として重要な軍事拠点となりました。その後、城主は変遷しますが、慶長15年(1610)徳川家康は、清洲城の廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転する「清須越」が行われました。現在の名古屋城御深井丸の西北隅櫓は、「清須櫓」とも呼ばれ清洲城天守の古材でつくられたといわれています。

現在の清洲城は、平成元年に五条川対岸の位置に地域のシンボルとして建築されて、多くの観光客が訪れています。

清洲城跡地には、清洲古城公園・清洲公園・清洲ふるさとのやかたになっていました。

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清洲公園の濃姫と信長像

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「清須からあげまぶし」まつ寿司さんでいただきました。

からあげまぶしは、清須の名物になっているようでした。

厳格な職人さんの握る寿司も美味しそうでしたので、次に訪れた時は注文してみたいですね。

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城下町の遺構も一部残っていました。

名古屋城へ町の機能は移転しましたが、重要な拠点となっていた城下町の風格がありましたね。

皆様も名古屋駅からすぐの清須に一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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