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カテゴリー:地域情報・紹介

2022
11.17
心に栄養あげましょう

今年も残すところ1ヶ月半となりました。何かと忙しい12月を迎える前に、疲れた心を癒してくれるスポットをご紹介させていただきます。

全国にその名を知られる紅葉の名所「香嵐渓」です。

 

香嵐渓のもみじは今から400年前、香積寺11世の三栄和尚が経を唱えながら植えたのが始まりで、長い間「香積寺のもみじ」と呼ばれていました。昭和5年(1930)大阪毎日新聞の本山彦一社長より、香積寺の「香」、巴川をわたる爽涼とした嵐気の「嵐」から「香嵐渓」と名付けられました。

2021年秋のテーマは「神宿る」。円錐形の美しい形の山は神様の天下る神聖な山として信仰の対象とされ、山頂の巨石群では古代より祀りごとが行われていました。神様が現在の八幡宮の方角に向けて足を休められたことから「足助」という地名が付いたとの説もあります。また、足助氏が本城を置いた飯盛山は足助にとって歴史、文化の象徴であり愛知県の史跡に指定されています。

今年のテーマは「心の癒し~香嵐渓」

長期にわたる先の見えないコロナとの戦いで、わたしたちは皆、窮屈な思いをしています。香嵐渓の美しい紅葉を見ることで疲れた心が癒されることを願い、もみじまつりを実施します。

コロナ禍、飯盛山山頂に祠も置かれ、香嵐渓広場には願掛けろうそくの収益金で庭園も造ることが出来ました。

先人から受け継いだ美しい香嵐渓を多くの皆様に安心して楽しんでいただけるよう、昨年に引き続き新型コロナウィルス対策を行い実施します。(豊田市足助観光協会HPより)

 

今年のポスターと紅葉みどころマップです。

キャッチフレーズは「癒しの 香嵐渓 心に栄養あげましょう」

 

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香嵐渓周辺には、おいしい食べ物もたくさんあります。

 

 

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ご存知の方も多いとは思いますが、土日祝日は大変混雑しますし、道中は大渋滞します。

駐車場情報、迂回路案内マップ等を参考にして下さい。

 

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第67回香嵐渓もみじまつりは11月30日(水)までとなります。

感染防止対策をきちんと順守し、美しい紅葉を見ることで、ポスターのキャッチフレーズ通り

「癒しの香嵐渓」「心に栄養あげましょう」

 

◆香嵐渓もみじまつりの詳細はこちらからご確認下さい。

 

2022
11.13
おそと時間の楽しみ方2

秋も深まり、小原の四季桜や香嵐渓の紅葉散策も賑わいがあるようですね。さて、来年の大河ドラマ「どうする家康」では、その世界観を楽しむ為に家康公生誕の地である岡崎が舞台になっています。今回は、たまに通りで見かける記念碑に「二十七曲り」と書かれているのが気になっていたので、岡崎を感じようと思い散策することにしました。

二十七曲りの由来

徳川家康公が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年10月には、豊臣側の田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備にとりかかりました。慶長6年(1601)に藩主となった本多家が城下町整備を引き継ぎ、矢作川に初めて橋をかけ、菅生川の南にあった東海道を城下へ引き入れました。変更が重ねられた東海道は、慶長14年(1609)以降、10年をかけてまちの防衛と街道筋の伸長のために曲がりくねり、伝馬町、籠田町、連尺町、本町、材木町、下肴町、田町、板屋町、八帖町を経て矢作川を越える「東海道岡崎城下二十七曲り」と呼ばれる街道となりました。徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。

矢作橋のたもとにある記念碑から出発

出合之像 小六正勝(後の蜂須賀小六)と日吉丸(後の豊臣秀吉)

矢作橋の上で寝ていた日吉丸に小六正勝が頭をけった所から出合いがあったようです。

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八丁味噌のカクキューさんの裏手にお寺がありました。

八丁味噌のまるやさん、花火屋さん、そしてカクキューさんがあります。

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 二十七曲りの碑の上にワラジを型取ったオブジェがありました。

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古い銭湯がありましたが、現在は休業中でした。

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常夜燈が残っていました。

ここで、い・ろ・は・に・ほ・へ・との逆から進んでいるのに気づきました。

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東海オンエアーのオフィシャルのサインがありました。

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篭田公園の近くで、遅めのモーニングをしました。

ここまで、2時間くらい歩いていました。

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伝馬町まで来たら、石像が道路の両脇に何体もありました。

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老舗の永田屋精肉店さん、備前屋本店さんと続きます。

備前屋さんには二十七曲りせんべいというものがあります。

(二十七曲りせんべいは、本当に27曲がっているせんべいです)

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常夜燈の由緒がありました。

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東の入口に着きました。

ここまで、4時間ほど

まちの防衛の為に変更を重ねて作られた道は、現在では着物屋や小売問屋が残っていますが、まちの繁栄に大きな影響があったと思われる跡がいくつか見られました。人が集まるまちづくりとは、現在のまちづくりと同じ所があると感じ、そんな仕事ができるようになりたいと思った散策になりました。

2022
11.6
デリカ&スイーツ テイクアウト専門店

デリカ&スイーツ テイクアウト専門店

 

秋が深まり、夜の寒さが強まってまいりましたが、風邪など引かれませんようご自愛ください。

 

今回は、以前ご紹介させていただきました。デリカ&スイーツ テイクアウト専門店に行って来ました。

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8月にオープンして3ヶ月が経ち新作メニューも増え、店内には沢山のお客様が居ました。

抹茶の甘いものが食べたかったので、抹茶を使用し、小豆がたっぷりのった抹茶ケーキを購入しました。

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中はしっとりとした濃厚な抹茶ケーキで小豆の上には金粉がかかっており、見た目も豪華に感じました。

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また、クリスマス用のオードブルセットを1日20セット限定で販売するとのことです。ご予約は店頭で12月17日までとなっております。

【前菜】

・魚介のポテトサラダ

・エビと生ハムのピンチョス

・サラダチキン

・バーニャカウダ

・魚のカルパッチョ

・スモークサーモン

・人参サラダ

・ローストポーク

【メイン】

・ローストビーフのサンドイッチ

・フライドチキン

・フライドポテト

・手羽元のコンフィ

・ラザニア

【デザート】

・パリブレストのクリスマスケーキ

5号サイズ

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豊田市青木町1丁目69-39にございます。『KITCHEN  KONARI』さん。

猿投駅から徒歩5分で行けますので、お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

 

2022
10.15
挙母祭りの歴史と見どころ

10月に入り、1日の寒暖差が大きい日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今週末、10月15日(土)・16日(日)に挙母祭りが開催されます。

「挙母祭り」って何?という方もいらっしゃると思いますので、公式サイトより引用させていただき、挙母祭りの歴史と見どころについてご説明します。

 

【挙母祭りについて】

挙母祭りは、挙母神社の例祭として寛永年間(1624年~1643年)の頃より行われ、古い記録に寛文4年(1664年)飾奉四輌((東町・本町・北町(現在の中町)・神明町))獅子舞(南町)後にかさ鉾(西町・竹生町)とあり、この頃には今の原型となった飾り車が存在していたと考えられています。 寛延三年(1750年)には、挙母藩の命を受け南町が飾車をつくることとなり、安永7年(1784年)に新北町(現・喜多町)が飾車を出し、併せて今の8町になりました。

この頃、各町が挙母神社にて8歳~12歳の子供たちによる歌舞伎狂言を二幕ずつ奉納競演した後に、七州城(現・豊田市美術館)へ山車を引き入れ、藩主・家臣らが歌舞伎狂言を観覧しました。この様子は、明治初期に川上呉山によって描かれています。

(豊田市郷土資料館 所蔵)

 

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その後、文化年間(1804年~1817年)に飾車の改造が相次ぎ、藩主より倹約令が出され、山車を隔年で出すよう改められ、豊作の年に村中の請いにより山車を出すことを許されました。

祭りは、毎年陰暦の9月18日・19日に行われていましたが、明治維新後に大きく変化し、試楽・本楽の日も太陽暦の10月18日・19日になり、城中への山車の引き込みを取りやめ、各町内を引き廻すことになり、歌舞伎狂言も児童演芸の禁止令と共に消滅してしまいました。

現在では、会社勤めの氏子も増えて第3日曜の本楽祭と、その前日の土曜に試楽祭を開催するように変わり、多くの皆様に親しまれております。

 

【見どころ】

八輌の山車は、県・市の有形民俗文化財に指定。ヒノキ、樫、紫檀、黒檀など上材が使われ、打敷で培われた技法を施した豪華な本幕や長野県諏訪の名工 立川和四郎作の彫刻をはじめ、飛騨高山の村山群鳳、名古屋の瀬川重光や早瀬長太郎と言った山車彫刻では名の通った作者の彫刻で飾られています。

山車の特徴は、梶が後方のみとなっており、曲線を帯びた独特の形状をしている。また、上山は六本柱となっており、彫刻を付けるためだったとも言われている。各町には、先人より伝えられてきた品があり、旧東町には宝暦6年(1757)藩主内藤政苗公より襖を拝領、旧本町には、天明5年(1785)には紀伊家より内藤学文公に与えられた蔓葵の紋が拝領された。これら山車そのものを見てみるのも良いし、紙吹雪が乱舞するなか、曳きまわされるところを見ても良い。

こうした格調ある山車が曳きまわされる中、一番の見どころと言えば、2日目の本楽に見られる挙母神社境内での曳き込みと曳き出しです。
10時の号砲の後、各町代表者の合図にて、一輌ずつ威勢よく駆け込んで入り、16時の号砲後は、曳き出しで、重い山車を綱と梶の絶妙な駆け引きで大楠前を曲がり、境内を後にしていきます。

そして最後に、もう一つの見どころがあります。

それが「泣き別れ」です。挙母神社を曵き出された山車は、元城町1丁目交差点(豊田信用金庫本店前)で、上町は南に、下町は北に、それぞれ帰っていきます。

「泣き別れ」では、華車の町から無事催行のお礼の挨拶と、次年の華車の町への申し送りがなされます。また挙母祭りが子々孫々受け継がれて行くこと、挙母祭り 関係者・お客さまほか皆さんが無事帰られることを祈念し、来年の再興を誓います。

 

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当日は、ひまわりネットワークによるテレビ中継とYouTube配信があるそうですので、現地へ行けない方もお楽しみいただけるのは嬉しいですね。

 

また、山車の曳きまわし、日曜の曳き込み・曳き出し時は各所にて通行止め等がありますので、交通規制にはご注意下さい。

※当社前(東側)の道路も、日曜の曳き込み・曳き出し時は通行止めとなります。

 

祭りの最後には、奉納花火が午後7時~7時半の予定で行われます。意外と知らない方も多いのではないでしょうか?

夏のおいでん祭りのような規模ではありませんが、秋の花火も味わいがあります。

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※当社も奉納花火に協賛させていただいております。

 

週間天気予報を見ると、16日(日)の天気が少し心配でしたが…雨マークが消えました。

感染対策をきちんとして、久しぶりに山車が曳かれる勇壮な祭りを楽しみましょう!

 

◆挙母祭りの詳細につきましては公式サイトにてご確認下さい。

 株式会社丸太不動産 

 〒471-0024 愛知県豊田市元城町2丁目8-2 

 TEL:0120-32-0589(フリーダイヤル)

 TEL:0565-31-0589 

 FAX:0565-31-7467  

 営業時間: 8:30~18:00 

 休日: 年末年始、夏期、その他不定期 

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