カテゴリー:地域情報・紹介
新年度が始まり、新しくスタート切った方や学校では入学や新学期を迎えた方も、これから活躍されることと思います。
今回も、大河ドラマ「どうする家康」に関係する家康が天下統一の礎を築いたとされる浜松城を散策しました。浜松城は浜松市役所の隣接で浜松城公園の敷地内にあります。現在は、大河ドラマ館も併設されており平日にも関わらず多くの観光客が訪れていました。岡崎城の大河ドラマ館は、家康館を一部改修していましたが浜松は新築されていました。
浜松城の石垣は、自然石を上下に組み合わせて積み上げる野面積みで、表面にすき間があり一見崩れやすそうに見えますが、奥が深く内側に小石や砂利を敷き詰めてあるため、水はけもよく堅固なようです。
天守閣からは、浜松市内を一望できて遠くに富士山を見ることもできました。
家康は、浜松城の前身の引間城より1570年に浜松城を築城し、青壮年期の29歳から45歳までの17年間を浜松で過ごしました。この間には、生涯最大の敗戦ともいわれる「三方ヶ原合戦」などの苦難を経て多くのことを学び、浜松の地で天下取りの第一歩を歩み始めました。
引間城があった場所に創建された浜松元城町東照宮は若き日の豊臣秀吉公が訪れた記録も残っており二人を天下人へと導いた場所といわれています。また、江戸時代の歴代浜松城主は、幕府の要職である「老中」や「京都所司代」などに抜擢される人物が多く輩出されたことから、後に「出世城」と呼ばれるようになりました。
また浜松城の城内、城下にはパワースポットといわれる所も多く宿場町や城下町の名残が多く見受けられ、岡崎城の城下、城内に類似するまちづくりがあったような印象を受けました。そのようなことから、浜松城は日本100名城に選ばれてもいいような城だと思いました。今回は浜松城に足を運びましたが、ドラマの進行では浜松は少し先になりそうですね。
昼間の日差しが暖かくなってきましたね。
今回は、またまた「どうする家康」に関係する、三河一向一揆の舞台となったところを巡ってみました。
三河一向一揆とは「家康三大危機」といわれるうちの一つとされています。
最初に本證寺に足を運んでみました。
到着すると、テントがあり案内のガイドをしていただきました。
ドラマでもありました本證寺は現在の安城市にあります。本證寺は真宗大谷派の寺院で、鎌倉時代後期(13世紀末ころ)に慶円によって開かれました。そして15世紀後半には、本願寺の蓮如の教化によって浄土真宗の高田門徒から本願寺門徒
(一向宗)に転じました。
この頃から、三河地方の本願寺門徒における寺院の組織化が進み、後の上宮寺(今の岡崎市上佐々木町で石工団地に近い所)、勝鬘時(今の岡崎市針崎町で藤田医科大学岡崎医療センターに近い所)とともに三河三か寺とされました。そして16世紀の前半になると、二重の堀と土塁が築かれ、城郭寺院とも呼ばれていました。
現在も堀と土塁の跡が残っていました。7月頃になると内堀に蓮の花が咲き多くの観光客が来場されるようです。現在は、ハスの咲いた跡が残っていました。
三河一向一揆は、寺の不入権(租税免税と治外法権)侵害が発端となって、他の上宮寺と勝鬘寺とともに徳川家康と争いました。家康の家中にいる数多くの門徒武士が一揆方に与しました。半年にわたる戦いの後、家康は勝利をおさめ、一揆は終結しました。
翌年にいったん和議が結ばれますが、家康からの改宗命令を拒否した為に坊主衆は領国から追放になり、建物も壊されました。
ドラマでも出てきました空誓も現在の豊田市へ逃れました。
その20年後に家康の叔母石川妙春尼の尽力もあって、一向一揆の罪は赦免されました。天正13年(1585年)の徳川家康黒印状では、本證寺は施設である「道場屋敷」の保証と寺に属した「家来三十間」(家来=外堀に囲まれた「寺内」の住民)の租税免除が認められました。
江戸時代になると三河三か寺は、本山-中本山-末寺の中本山の地位を与えられて末寺を取りまとめる大寺になっていきました。
現在の本堂は、三河一向一揆(永禄6年 1563年)の後に壊されていますが、100年後の寛文3年(1663年)に現在の建物が再建されました。
また、外堀は改修されて現在は民家が立ち並んでいました。
上宮寺にも行ってきました。
ここは、近年に再建されて石工団地内だけに石を多用されたモダンな建物になっていました。
3月8日の中日新聞の西三河版に本證寺の御朱印帳が完成したとの記事があり、多くの観光客が集まっているようです。
無敵のイメージがある家康も家中統制で苦しめられたことがよく理解できました。
少しずつ暖かくなり春らしさが感じられる頃となりましたが、皆様はどうお過ごしでしょうか。
今話題の動画投稿サイトのTIK TOKを見ていたら京都お勧めグルメスポットを紹介している動画が流れて来ました。その中で抹茶わらび餅が紹介されており、早速京都に行き食べに行ってきました。
京都の老舗なので古風なつくりで、お茶室のような部屋に案内されました。
早速メニューを見ると、紹介されていたわらび餅は勿論、他のメニューもどれも魅力的でしたが、私は当初の目的の抹茶わらび餅を注文しました。
餡蜜をかけて食べるため甘いのかなと思っていたのですが、ふんだんに抹茶がかかっており甘すぎず、苦すぎない感じでとても美味しかったです。普段このようなわらび餅を食べないので一口目は、むせこんでしまいました(笑)
そんなわらび餅が食べられるお店は、京都府京都市東山区新橋通大和大路東入元吉町61にある京都祇園 甘味どころ『ぎをん小森』
京都に行かれる際は足を運んでみてはどうでしょうか。
ついに始まりました大河ドラマ「どうする家康」も4回まで進み、戦国乱世の波瀾万丈な世界に心を奪われています。特に本多忠勝役の山田裕貴さんは、戦国最強武将の一人として男気が溢れていて素敵です。さて今回は、先日1月21日にリニューアルオープンした大河ドラマ館と岡崎城に行ってきました。平日にも関わらず多くの来場者があり賑わっていました。
この盛り上がりは、岡崎市制70周年記念事業の「葵博」以来かもしれませんね。
元々、「家康館」として多くの展示物がありましたが「大河ドラマ館」は、メイキング映像や衣装などと盛り沢山で存分に体感できる施設でした。
また、観光案内所・観光みやげ店もオープンしていました。
詳しくは、一度来場して堪能して下さるのが一番いいと思います。
望遠鏡で岡崎城から大樹寺までのビスタラインを見ることができました。
岡崎城の天守閣から見た龍城神社・伊賀川と八丁味噌のカクキュー方面
以前に紹介しました「いちかわ」に行ってきました。
菜飯田楽のセットと四天王パフェ(徳川家康バージョン)をいただきました。
お堀など岡崎公園の景色が美しいところでした。
NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」でも徳川家康役の松本潤さんと岡崎を巡る放送回が2週続けてありましたが、番組の中で東海オンエアの聖地として紹介され、岡崎の町へ観光に来る人が増えているようでした。
観光によって当時の城下町や宿場町のような活気あふれる街になるといいなと思いました。