ゴールデンウィーク真っ只中、新年度を迎えてから初めての長期連休ですね。
さて、今回は愛知県清須市を訪れました。
名古屋駅より20分ほどの名鉄名古屋本線新清須駅を下車し、五条川周辺を散策していたら、清洲城信長「鬼ころし」で有名な
清洲桜醸造の工場がありました。また、キリンビール名古屋工場では、工場見学もできるようでした。
五条川をさらに進むと、風格ある清洲城の登場です。
清洲城は、JR東海道本線、名鉄名古屋本線、東海道新幹線の車窓より見ることが出来る城です。
清洲城天守より 雨模様でしたが、名古屋駅周辺と名古屋城を確認できました。
戦国中スポがいい感じでしたので、隅々までしっかり読みました。
清洲城は、室町時代応永12年(1405)、尾張国の守護職であった斬波義重が、守護所であった下津城の別郭として建てられたのが始まりといわれています。後の戦乱により下津城(今の稲沢市で清洲城より車で15分くらい)は焼失し守護所が清須に移転したことで、清須が尾張国の中心地として繁栄していったといわれています。
弘治元年(1555)に織田信長が那古野城から入城し、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長は、天下統一への第一歩を踏み出しました。
天下統一への途上、「本能寺の変」で斃れた信長の跡目を決める、かの有名な「清須会議」の後、城主となった次男、信雄によって改修された清洲城の城郭は、天守を備え東西1.6キロ、南北2.8キロにも及ぶ巨大な城郭の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として最大規模に達します。
その後、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城として重要な軍事拠点となりました。その後、城主は変遷しますが、慶長15年(1610)徳川家康は、清洲城の廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転する「清須越」が行われました。現在の名古屋城御深井丸の西北隅櫓は、「清須櫓」とも呼ばれ清洲城天守の古材でつくられたといわれています。
現在の清洲城は、平成元年に五条川対岸の位置に地域のシンボルとして建築されて、多くの観光客が訪れています。
清洲城跡地には、清洲古城公園・清洲公園・清洲ふるさとのやかたになっていました。
清洲公園の濃姫と信長像
「清須からあげまぶし」まつ寿司さんでいただきました。
からあげまぶしは、清須の名物になっているようでした。
厳格な職人さんの握る寿司も美味しそうでしたので、次に訪れた時は注文してみたいですね。
城下町の遺構も一部残っていました。
名古屋城へ町の機能は移転しましたが、重要な拠点となっていた城下町の風格がありましたね。
皆様も名古屋駅からすぐの清須に一度訪れてみてはいかがでしょうか。